4年間かけて友人関係を清算した。そもそもは交際費を削減するために始めた事であったが、おかげで人間関係がだいぶ楽になった。馴れ合いの付合いはどうも苦手だ。
そんなわけで先日、大学時代の友人から結婚式の招待状が届いた時は驚いた。同じ学部にいたというだけで特に密接な付合いをしたことはない。Aさん招待するからにはBさんも…と言うことだろう。そこで返書に一筆したためる。
「久しぶり。元気にしてますか? 来週からモンゴルに住みつくことにしました。立ち寄ったらぜひ連絡ください。結婚おめでとう」
これで納得してくれるのだから、おれもたいしたものだ。
そういえば学生時代の後輩に愛すべきホラ吹きがいた。小生が空手部に在籍していた頃の後輩で、ちょうど一学年下になる。
先述の後輩はしばしば練習をサボった。とはいえ、空手部もそれなりに規律の厳しい部である。風邪は当然のこと、就職活動で休むことすら許されない。唯一許されるのは、空気感染を伴う伝染病にかかった時、二親等内の親族が死んだ時に限られた。
そんなわけで後輩の身内はどんどん死んでいった。「祖父が死にました」「祖母が死にました」「母方の祖父が死にました」「母方の祖母が死にました」
そしてウソがばれるたびに後輩は“熱心な指導”を受け、顔が変形する。歯が減っていく。やがて親族は死に絶え、ネタは枯渇する。
しかしそれでも後輩はまだホラを吹きつづけた。そして、次第に発言も過激になってきた。
「柄の悪いやつらに囲まれて殺されそうになりましたが、なんとか全員倒しました。今から彼らを病院に送るので今日は練習に参加できません」
「家を一歩出た途端、トラックが自分に突っ込んで参りまして大怪我を負いました」
それこそ小学生並みの言い訳なのだけれども、後輩は大マジメにそれを演じるのだ。サクラまで使ったこともあった。時にはぐるぐる巻きの包帯姿を演じた。全治二日の骨折である。ウソもここまでくると賞賛に値する。
これほど適当な人間は自分以外に知らない。
結局、後輩は組織上層部の制裁を受けて退部させられ、学校も自主退学を果した。人づてに聞いた噂では、今はコンビニエンスストアの店長をしているという。
後輩としてではなく、それ以外のかたちで出会ったならば、いい友達になれたと思う。いささか残念でならない。
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2005年01月12日 雑文 トラックバック:0 コメント:0