ひとまず揺れが少なそうな真ん中の席に座ることにした。乗客は殆どいない。ましてや旅行者はおれ1人だけだ。
やはりこのような状況で乗るのは早計だったかなァ、と急に悔恨の念にかられ、頭を掻きむしっているとポツリポツリと乗客が増えてきた。ややホっとする。
道連れは多ければ多いほど良い。死ぬ時ゃみんな一緒だよナ、おれ達ゃ運命共同体でぇ! と見知らぬ人間に親愛の情がどんどん深まっていくうちにも、乗客はどんどん増え続け、バス内はあっという間に人だらけとなり、挙句の果てには2人乗りの席に4人座らねばならない状況となった。
おれはガイジンだし、体もデカいから大丈夫だろうとの楽観的観測はガラガラと崩れ落ちる。インド人のカレー臭気に満ちた吐息を耳元にたっぷりと浴びつつ、ほんのわずかな時間ながらもおれは早々に汗だくの状態に陥った。なんともこのバス、一昼夜にわたって乗り続けなければならない。
前の席に座っていたパキスタン系おっさんがとつぜん怒声を挙げた。怒りの矛先は乗りこんできた2人組のインド人に向けられているらしく、いまにもケンカが始まりそうな雰囲気である。
どちらが先にいちゃもんをつけたのかは分からない。しかしながら今現在は印パ核戦争が勃発するかしないかという微妙な政情にある。双方とも始めはわめき散らしているだけであったが、次の瞬間パキスタン系おっさんがいきなり腰のサーベルに手をかけた。
おい、ちょっと待て。それはやばいんじゃないのか。
とはいえ、サーベルを片手に持って激昂しているパキスタおっさんを制するのはなかなか勇気が要るので見てみぬふりをすることにした。こっちに来たらバックパックでも投げつけよう。
そうこうするうちに、パキスタおっさんと2人組インド人はバスを降り、なんらかの決着をつけることになったようだが、この先は知らない。パスが出発してしまったからだ。誰も死んでいませんように。
テロリストの襲撃を受けたバス インドのバスには乗務員が2人いる。1人はドライバーで、もう1人は料金収集や客引きなどに努めるのだ。ところが、おれの乗ったバスはもうひとつの重要な仕事が混在していて、それはつまり「バスの扉を閉める」という役目だ。
これはどういうことかというと、このオンボロバスは走行中にも関わらず突然がっぱりと扉が開いてしまうのだ。やはり壊れているのである。扉はただ閉じただけでは閉まらず、叩きつけるように閉めこまないとダメなのだ。だから乗務員の片手には巨大な木槌が握られており、開閉のたびに扉を叩き込む。それは2度、3度とブッ叩いてようやく閉まるので、その度にたいそうな騒音がバス内に響き渡る。どがちゃん、どがちゃん。こんなボロバスではテロリストの襲撃には到底耐えられるはずがない。火炎瓶1本でバラバラになるんじゃないのか。
憧れのポカラ行が地獄行き直行バスとなりつつあるので、おれは楽しいことを考えることにした。毎日、食い物の夢ばかりみているので、食い物のことを考えるのがいい。脂の乗ったバラ串から濃厚な豚骨ラーメン、果てはモンゴルでゲロが出る程に食いまくったキャビアのことまで考える。
と、世界三大珍味にいたった所で、どうしようもないことを今更ながら思い出した。以前、確か何かの本で読んだことがある世界三大悪路の話。
それは複数説あるものの、代表的なものは中国の「ウルムチ~カシュガル間」、カンボジアの国道一号線。それともうひとつが、このインドからネパールのポカラに向う山道であった…ような気がする。
ダメだ。ますます陰鬱たる気分になってきた。
一つ目のバス亭で止まった時、バス内に売り子の兄ちゃんが乱入してきた。商品はジュース、お菓子の類ではなく数珠、というのがいかにもインドらしい。それにしても呑気な商売である。今や観光客用のバスが走っていないのだから仕方ないのかも知れないけども、こんな得体のしれない三流土産まがいの数珠を地元民が買うわけがないのだ。勤労青年よ、がんばりたまえ。
と、思いきや、青年の数珠は飛ぶように売れている。乗客から呼ばれる度に青年は車内を奔走する。首にジャラジャラと巻いた数珠が次々と減っていく。
まったく理解に苦しむ。こんな数珠をなぜみな欲しがるのか。いや、数珠を買った客を見てその理由が分かった。みな数珠を買うやいなや、いきなり祈りはじめやがるのである。そんなわけで車内は、数珠を擦り合わせる音でいっぱいだ。もしかしておれはたいへんなバスに乗ってしまったんじゃないのだろうか。
皆が皆、イスラム教徒の如く申し合せたかのように祈っているとおれもひどく不安になる。仕方ない。ここは数珠を買っておくべきだろう。
そこでおれが手を挙げて青年を呼ぶと、彼は申し訳なさそうにいった。
「もう売りきれだよ」
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2005年04月25日 紀行[国外] トラックバック:0 コメント:0