
文学史上、ウンポコチンポコ話しが本格的に出てくるのは江戸時代からだと思っていた。狂歌、狂詩、滑稽本など「笑い」がふんだんにある時代だ。
乱暴な言い方をするならばユーモアとは自虐的な笑いであり、エスプリとは攻撃的な笑いである。それぞれの使い手はイギリス人、フランス人ということになっていて、周知の通り日本人はそのようなセンスに乏しいとされている。
ところが実際は、「元々」「本来」という但し書きがいるのだけれど、日本人に笑いのセンスは宿っておるのです。ユーモアなどという外来語なしに“諧謔”という古くからの単語もある。特に井原西鶴なんぞはエスプリの先駆者だった。日本は島国文化であるゆえエスプリは生まれない、などという鬼畜米英学者は大人しくクソを食らっていただきたい所存である。
ここらの感覚が薄れていったのは、明治改革のせいだと言われている。いわゆる欧米諸国に追いつけ追い越せの精神が笑いを封殺した。シリアスな文化が上等で、笑いは(特に下品なのは)下等である、と富国強兵の政策が決定づけた。それが今でも尾をひいている。
このあたり“ゆとり”があれば、『我輩は猫である』とはまた別種のユーモア作品が出ていたかもしれない。夏目漱石にしろ、太宰治にしろ、彼らのユーモア精神はたいしたものだけれども、それはどこかしら衣をまとったような笑いであり、同時代にハダカの笑いが存在しないのがちょっと淋しい。それが「時代」だ、といわれればそれまでである。
と、おれは“ハレが日常化”した江戸が笑いの最盛期だと思っていたのだ。恥ずかしながら。
ところが古くは平安時代からあったのですね。『今昔物語』『宇治拾遺物語』などは、雲古珍鋒金玉満古自慰性行為話しのオンパレードである。このような話を学校教材に取り入れてくれれば、学徒たちの古文の見方は随分と変わったものになるであろうけれども、悲しいかな文部省がそれを許すはずもない。
例えば『宇治拾遺物語』に出てくる次のような話が教科書に乗れば、少なくとも古文のレベルは飛躍的にあがると思う。国際的に比した学力低下がさけばれる昨今だ。ぜひ投入すべきである。
今は昔、中納言のもろときさん宅に流浪の坊さんが訪れた。
坊さんはいう。
「現世は仮の世であり、たいへんはかない。生命は輪廻するという真理を思うもの、煩悩にひき留められ、この憂き世から解脱することができずにおります。
そこで愚僧は煩悩を切り捨て、このほど生と死との輪廻の境からの脱却を悟った坊主でございます」
それを聞いたもろときさんは、坊さんに尋ねた。
「ほう、煩悩を切り捨てるとはどういうことでありますか?」
すると、坊さんはおもむろに袈裟をまくりあげ、
「これをご覧なされませ」
もろときさんが坊さんの下半身をのぞくと、そこにあるべきチンポコは存在せず、陰毛ばかりである。
「これはなんとも…」もろときさんは感嘆の声をもらしたものの、よく見ればだらりと下がった袋が肥大化しすぎているような気もする。
「これ、誰かおらぬか」もろときさんが人を呼ぶと、彼に仕える侍が2、3人現われた。「この法師を奥にお連れもうせ」
「足をもって広げさせよ」もろときさんが命ずると、さっそく侍たちは坊さんの足を開く。
「それから、そこのもの、ちょっとこい」もろときさんは、年の頃12歳程の小侍を呼びつける。「この法師の股を撫でつけよ」
小侍は命ぜられるままにふっくらとした柔らかい手で、坊さんの股をさすった。すると、坊さん途端に顔色が変わり、「あっ、もうこれ以上は、おやめ、くだされ」と言う。
しかしもろときさんは「いいではないか。ほれ、もっとさすってさしあげろ」とけしかける。
坊さんは「具合が、悪う、ございます。もう、やめ、て」と息も絶え絶えである。
と、その時、陰毛の中からマツタケのような大きなものが突如として出現し硬化屹立し始め、やがて腹にあたってぽたりぽたりと音を発した。
これを見たもろときさんたちは声をあげて笑い、ついには坊さんも手を叩いて大笑した。坊主はチンポコを下の袋にひねり入れた上で、米粒のノリで陰毛を貼りつけていたのである。人を騙し、喜捨を求めようとした狂惑坊主のお話。 たいへん下品で素晴らしいですね。
ところで空海は日本最古の男色家であり、ありとあらゆるホモテクを編み出した坊主だとの説がある。このあたり歴史並びに時代背景も学ぶことができるのである。
文部省は、国語教育も御再考頂きたいものであります。
参考『私の「今昔物語」』
http://homepage2.nifty.com/parad/Konjaku/Konjaku0.htm
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2005年05月27日 雑文 トラックバック:0 コメント:1