広告制作会社に入ったのは8月26日ぐらいだったろうか。
「振り返れば、長いようで短い期間でした」
と、小学生の卒業文集みたいなことを書くけれども、やっぱりここまでは長かった。あと30日、あと29日とおれは指を折りつつ、ただひたすらに給料日を待ったのである。
入社した時点での全財産は千円札一枚と少々の小銭のみ。携帯電話の差し止め通知が届けられたばかりだった。
貧乏生活があまりにも長かったため、金銭感覚が大いに狂ってしまっている。金が入ったらアレを買おう、コレを買おうと思案に明け暮れ、給与計算をした。
一週間にあたり5000円も稼ぐのだから、毎日ホカ弁食うなどという豪遊も可能になるな、ウヒヒヒ、と下品な笑みを浮かべていたものの、時給1000円のところを間違えて日給1000円で計算していたことに後ほど気がついた。一日、50円以下で生活しているものだからこんな計算違いが生じてしまうのだ。
ちなみに去年の年収は5000円。一昨年は1万円だった。
給料が入ったら、買うものは決めている。思う存分豪遊してやるぜ。
シャンプー、食器洗い用スポンジ、食器洗い用洗剤、塩コショウ、ハブラシ…。
これらのものがいっぺんに手に入ってしまう生活。おお、贅沢の極み。
米は一ヶ月近く食っていない。20円ラーメンを大量に買い込み、毎日一袋ずつ食っている。粗食には慣れきってしまったものの、会社の昼休み時間はなんとも苦痛だ。
お昼時になると、三々五々に散っていく社員は、あるものは近所の定食屋へ向かい、あるものは電話で出前を取っている。
おれは昼休みになると、外に出かけ、時間を潰して帰ってくる。「食ったフリ」をしているわけだ。時に公園の水道水で腹を満たし、飛び切りの「悲劇のヒーロー・ナルシズム」に浸って遊ぶこともある。
おれの好きな某戦後派作家は、幼少時に戦後の食糧難が重なり、学校に弁当すら持っていけなかったという。休み時間になると、彼は一目散に教室を飛び出してやはり水道水を食事代わりに腹を満たしていたそうだ。やがて作家は、コピーライターのはしりとなり小説家へと転身するのだけれども、何だおれと同じである。だとすると、おれは戦後派コピーライターだな。
と、思ったのだけれども、彼は幼少時に既に飢えを経験していたのに比べ、おれは現段階で飢えに苦しんでいるわけだ。到達するスピードがまったく違うじゃないか。
そこで、朗報が来た。給料日は25日ではなく、10日だというのだ。
もう、たまらん。最高である。一ヶ月、この苦しみに耐えねばならぬことを考えると、正直うんざりしていたところだ。おれは喜びを隠しつつも、クールに「へぇ、そうなんですか」と対応し、心の底で9月10日の到来を今か今かと待ち望んでいたのである。
ある日、
「おっ、もうすぐ給料日ですね。いや、初給料だからあんま期待してないけど、嬉しいなァ」
おれは、平静を装いさりげなく隣の上司に言ったのだけれども、彼女はこう返してきた。
「ああ、うちは20日締め(10日払い)なんで、申し訳ないんですけど、高橋さん。給料。ありません」
こうきたわけだ。
愕然としましたね。右手に持っていたボールペンを落としかけ、眼前のパソコンを叩き割りたい衝動に駆られましたね。数日後に晴れて米が食えるようになると思っていたら、実際は20日以上先の話になったと。
ラーメン残り9袋。残金400円。あと20日、命が続いてくれていることを祈るばかりであります。
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2006年09月21日 雑文 トラックバック:0 コメント:2