こはいかに?
居酒屋のカウンター席に座っていたところ、隣にいた見知らぬ老年サラリーマンにえらく気に入られたのだった。
おっさんは3分おきに堅い握手を求め、酔いが進んでいるものだからなかなか手を離さない。
結局、手を繋ぎっぱなしで酒を飲んだ。
他の客からは絶対“そっちの人”と思われたろうなぁ。
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ここ一週間で印象に残ったセリフ。
小学校時代の同級生らしき人間を見かけたので声をかけようとしたら、隣にいた友人から制止された。
「ヤクザが因縁つけてきたと思うから、やめといた方がいい」
「ちょっとちょっと。運送業者さんはサインしないと入れないよ」
仕事仲間の新築マンションに入ろうとした際、管理人に言われた言葉。
「消費者金融をされている方ですか?」
およそ5年ぶりに髪を切りにいったら、美容師から言われた言葉。
「日常会話ができない人なんじゃないかと、心配してました」
このプログを読んでおれの人格を判断していた友人の嫁さん(初対面)に言われた言葉。
おれは往々にして“顔の怖い非常識人の変態”と思われているのか。確かにそれは怖い。
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2008年12月29日 雑文 トラックバック:0 コメント:3
爽やかな背徳
早朝ブログ更新。
“早朝”というだけで健康的ですな。“ブログ”はさておき。
今週のぶったまげたジャケット(最終回)です。
ファンキーなあなたもびっくり
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小さな巨人、という手垢に塗れた表現がある。
意味が相対する単語を組み合わせる手法を撞着語法という。無冠の帝王、とか。
三島由紀生の『春の雪』も類するかもしれない。
「悠々として急げ」
「右の目は熱く、左の目は冷たく、心には氷の炎を持て」
撞着語法は開口健が好んで使っていた。
ベトナム戦争をテーマにした作品『輝ける闇』はタイトルが撞着語法そのままだ。
『夏の闇』などにはたった2ページの間に「爽快な苦味」「優しい冷酷さ」「輝く血」「暗い光耀」「混濁した活力」「明晰を極めた激情」と頻出しまくりである。
撞着語法というと何だかなんだか小難しくなるものの、何のことはない。この修辞技法は日常会話にも応用されている。
例えば、「徹夜仕事で遅刻」なんてのは勤労と不道徳を合わせた言いわけだろう。
おれは徹夜仕事明けに、酒を買うことが多い。その際、なじみの店員からは「朝っぱらから飲むんですか!?」などと言われてしまうと、何だかすごく不道徳なことをしている気分になる。
これは“朝っぱら”と“酒”というマイナス同士の組み合わせだから、まずいのですね。今度からこう言い返そう。
「いいえ、早朝飲酒です」
100が90になるぐらいだが、背徳行為も爽やかになる。
クスリをやったり、買春やったり、殺人をする方は応用するといいかもしれません。
麻薬中毒 → 早朝シャブ
買春ツアー → 貿易摩擦解消エロ旅行
怨恨絡みの刺殺 → 非営利目的殺人
2008年12月19日 雑文 トラックバック:0 コメント:0
報酬はスイス銀行の俺の口座に
友人からプリンジュースを貰いました。
どりゅどりゅどりゅ、っと筆舌に尽くしがたい擬音を発しました。
吐瀉物にしか見えませんでした。
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仕事用の口座を作ろうと思案していた矢先である。
友人がスイス旅行に出掛ける際、真剣に検討したのが口座開設の依頼だ。
「○○様。お世話になっております。報酬はスイス銀行に入金しておいてくれ」
これがやりたかっただけなのだが、結局のところ機会を逸してしまった。
それでも未練がましくスイス銀行について調べたところ、どうやら3000万はもってないと口座が持てないらしい。がっくりである。
ならばそれなら仕方ない。
妥協案として国内に瑞西(スイス)市はないだろうか、とも考えた。これなら口語上では「スイスの銀行に入金してくれ」と言えるじゃないか。
が、結論から言うと、存在しなかった。
ただ、惜しいことに京都の六町合併(峰山町・大宮町・網野町・丹後町 ・弥栄町・久美浜町)にあたって名称を公募した際、瑞西市の名が上がったようである。ところが1270種の候補名からの得票数はわずか1票。
ちなみに他にはこんなものもあった。
うらやま市
ええとこや市
いらっしゃいま市
たんご6兄弟市
これらは論外にしても、合併協議会はなぜ瑞西市を却下した。全国からおれのようなバカがこぞって口座を作りに訪れ、地域振興が果たせただろうに。
六町は2004年4月より京丹後市となったそうです。
2008年12月17日 雑文 トラックバック:0 コメント:1
おれもぶったまげた
今週のぶったまげたジャケットです。
レッド・ツェッペリンもぶったまげたゴキゲンなサウンド!!ナウいコピーだ。おれもゴキゲンなダイアリィを書こう。
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先日、遠方から出張してきた取引先に聞かれたのだった。
「高橋さん、服とかどこで買ってるの?」
「買わないのでわかりません」
「いやいや、隠さないで教えてよ」
「買わないのでわかりません」
服に金をかけるなんて狂気の沙汰だ、と思っているから仕方ない。
おれの使っているベルトは、中学生の時に買ったものだし、持っている服の9割は5年物、10年物だ。
服の原型を留めなくなったら捨てる。その結果、こうなるのである。
それでも和服に凝っていた時期があって、しばしば古着屋を巡っていたことがある。
襦袢ならば500円から買えたし、この安さならば手入れを気にせず適当に着られる。着物はサイズがあいまいなので、体のでかいおれにはちょうど良かった。
ところが、こういった経緯で買った和服はことごとく縫い目が甘いのですね。びっくりするくらいスカスカで糸も貧弱なんである。
安物だからそんなもんか、と思っていたのだけれども、実はどうも違うらしい。
そもそも伝統的な和服裁縫とは、分解しやすいことを前提に作られているらしいのだ。また糸はわざと切れやすい糸を使うようだ。
それはなぜか?
着物は基本的に洗濯をしないのだけれども、ずっと着っぱなしというわけでもない。洗濯をする際には、和服の糸をほどいて分解し、洗っていたそうなのである。
そしてまた縫い直すわけなのだけれども、その際には服の寸法をも測り直せるわけだ。
また、縫い目を甘くし、切れやすい糸を使うことで、服が引っ張られた際に布が傷つきにくくなる。
つまり着物とは布の集合体であり、着物を構成する布を大切に扱った。一生ものとして扱ったんですな、布を。
「着物を質に入れてまで……」という時代劇でよく聞くセリフも納得である。
そう考えると、南蛮服とは言え、5年10年着ていることもたいしたこっちゃない。次回、取引先との打ち合わせには和服を着て、古風な日本男児を装おう。日本刀つきつければ、一気に商談成立だ。
2008年12月13日 雑文 トラックバック:0 コメント:2
おれの後頭部が緊急を要請
深夜4時。
うとうとと寝てたら、携帯電話が鳴った。相手は誰だか分らぬのだが、むやみやたらと大声なのであります。
「もしもーし?大丈夫ですかぁー、もしもーし!!」
「お前の頭が大丈夫か?」
と、言いたいところをぐっと抑えて、誰ですか?と問う。
「消防署です」
携帯電話が頭の下敷きになっていたのがまずかったようだ。よりによって119にかけるなよ、おれの後頭部。
無言で切れたので折り返してくれたみたいなのである。たいへん申し訳ありませんでした。悪いのはおれの頭です。
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施設の祖母に面会。
彼女の心労のことを考えて、離婚したことは未だに伏せているのであるけれども、話題はいつもおれの娘の話だ。
どのくらい大きくなったか。言葉はどれくらい話せるのか。どの部屋で寝かせているのか。今、何をしているのか。離乳食は何を食べさせているのか。etc.etc.
おれは彼女と目を合わせずに、適当に出まかせを並べるだけだ。この時間はひたすら苦痛で、逃げ出したい衝動に襲われる。
ひ孫に会えない祖母。父に会えない娘。自分の痛みは耐えられても、他人の痛みは何とも耐えがたい。
生き続けることこそが贖罪ですな。今更ながら思い至る。
2008年12月01日 雑文 トラックバック:0 コメント:2