和式便所の“きん隠し”について調べていた矢先。

『金隠し砦の三悪人』。
実に魅力的な悪人だ。映画の内容通り、掛詞になってるのもいい。おれワクワクしてきたぞ。
こういう形でリメイクしてくれたら劇場まで足を伸ばす、必ず。
さておいて、本題であります。
和式便所の“きん隠し”は何の意味があるんだろう、と思索にふけってしまったのだった。

きん隠しが存在するのは、それこそ日本だけなのだ。アジアはやはり「しゃがむ式」便所が主流なのであるが、日本以外の国で“きん隠し”を見たことがない。
(ちなみにモンゴルはロシア様式か「ノグソ」の二択である。潔くていい感じだ)
渡辺信一郎著作『江戸のおトイレ(新潮選書)』を読むと、少なくとも江戸時代から“きん隠し”は存在していたことが分かる。
同著はタイトル通り、江戸時代のトイレ事情について書かれたややカタメの本だ。風俗文化学者なので“きん隠し”については軽くしか触れられていない。“きん隠し”に対する彼の意見は
「きん隠しは便器に必要不可欠の装置ではなかったと思われる」
だそうだ。推定の粋なんである。
そこでゴールデンウィークを使って本棚にある大量のうんこ本なども読み返したり、ネットでも調べてみた。実に有意義な休日を過ごし方である。
さておき、“きん隠し”の用途についてはどうやら諸説があるようだ。
そこで、主説3つをご紹介します。
1.小便跳ね返り防止説いわゆる遮蔽版の役目である。が、実際は疑問視する声が多いようだ。おれも懐疑的である。
第一、昔は衛生感あるなしと別に、糞尿に対するイメージが今と違うのだ。
今のように、魔法のボタンを押したら糞尿が消える、なんてことはない。うんこは生活に密着した親しみ深い存在であった。農村の堆肥システムとしてもペリーが驚嘆するほどに活用されていたし、糞尿は金品とも交換できていた。
だからそれほど「穢」の感覚はないと思うのだ。たかが跳ね返り如きに神経質になるものなのか。
また経験上、“きん隠し”なしの便所で跳ね返りを感じたことはないのだ。
2.金玉隠し説きん隠しを漢字で書くと、「金隠し」となる。いわゆる「金玉隠し」だ。
江戸武士の外敵に対する心得、なんだろうか。
武士作法も危機管理に関しては、かなりカチコチでこれは武道としても引き継がれているのだが、例えば正座の作法(利き手・踏み足を最後まで残す)とか寝る時の姿勢(利き手を下にする)だとか、着物の着方(柄が引っかからぬよう右前に着る)、とか、これらは外敵が襲ってくるのを想定した上での作法になっている。
しかし、金玉だけを防御して意味あるのか、と思う。金カップだけを装着して、全裸でトラックに立ち向かうようなものである。そんなバカな話はない。
また当時、女子トイレは存在しなかったが、尼寺にトイレは当然ある。で、尼寺のトイレにも“金隠し”はあったそうだ。
おれの知る限り、尼さんには金玉はついていないはずである。
3.衣隠し説便器をまたぐと着物が邪魔になるので、着物を“きぬ隠し”に引っ掛けて用を足したとする説。
空手胴着でうんこするのに非常に気を使ったおれとしては、「おお」と思う。
そんなわけで、衣隠し説は有力なものとして長く唱えられていたが、最近ではどうも違うことが分ってきたらしい。やはりこんな用途では使われなかったようである。
じゃあ、“きん隠し”とは一体なんなんだ?というとやっぱり「誰もわからない」が結論なのだろう。
古代ミステリーであり、現代ミステリーである。神秘的でロマンチックなのである。
今後、和式便所で用を足す際は“きん隠し”を愛おしそうに眺めつつ、夢想にふけりたいとおもいます。
2008年05月13日 雑文 トラックバック:0 コメント:0